「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」 マタイ25・40
愛する主なる神よ、わたしたちはこのような愛を心にいだくことのできないほど、盲目なのです。わたしたちが貧しく欠乏している人たちになすこれらすべてのわざが、あたかも神ご自身にたいしてなされたかのように受けとってくださるほどまでに、神がご自身を低くされることをだれが知りえたでしょうか。こうして世は神に満ちております。どこの庭先、どの小道にもキリストはおられます。空を見上げて、もし一度でもわたしたちの主なる神を見ることができたら、すぐできるだけの奉仕をするのだが、と言わないでください。あなたはいつわり者であるとヨハネは言っております。聞きなさい。あわれな者よ、あなたは神に仕えたいというのか。それならば、神はあなたの家庭にしもべたちや子供らとともにおられるのだ。彼らに神をおそれ、神のみに信頼し、神を愛することを教えるがよい。悲しみと病いのうちにある隣人のところに行って慰め、あなたの全財産とちえと力を尽くして助けるがよい。子供たちがわたしを知るように育てるがよい。敬虔なよい教師を与えるがよい。子供たちのために費用をおしんではならない。わたしはあなたに豊かにむくいよう。
あなたはかならずわたしに会えることを知るがよい。あなたの助けと教えを必要としているあらゆる貧しいみじめな人において、わたしはあなたに近づこう。しかり、わたしはちょうどそこにいる。あなたは一杯の水を与えて、けっして空しくおわることはない。その千倍のむくいを受けるであろう。それはあなたのわざによるのではなく、わたしの約束によるのである。
1526年の説教から