イスラエルの神、救主よ、まことにあなたはご自分を隠しておられる神である。 イザヤ45・15
預言者イザヤは、神についての真理を語っています。なぜなら神はその全能、知恵、権威、権力を隠しておられ、ご自身は何もできず、何も知らず、何も理解せず、あるいはしようとも欲しておられないかのように見せておられるからです。神は今わたしたちの敵が、その好むままに、みことばと聖餐の礼典とキリスト者を処理することをゆるしておられます。神はわたしたちを求め叫ばせるままにして、沈黙を守っておられます。あたかも神が詩を書いておられるか、あるいは何かに専心しておられるか、戦場におられないか、眠っていてわたしたちの祈りを聞いてくださらないかのようです。しかし時期がくると、神がその偉大さ、その力、その全能をお示しになるのです。
そのうちにキリストのみ名によって洗礼を受けたキリスト者たちは、静粛を保ち、踏みつけるものを追い払い、忍耐しなければなりません。信仰の生活においては、わずかに現われるのが神のみ旨だからです。しかし見る生活においては、神はわずかではなく、非常に偉大なかたとして現われます。そこで神はその民の苦しみをみそなわし、その叫びを聞かれること、神のみ旨は彼らを救うために彼らに向けられていること、神は彼らを助ける力を持ちたもうこと、等をお示しになります。今は神はそのよきみ心とみ力と能力を隠しておられますが、神が現われたもう時には、そのみ心とみ力と能力を現わしたまいます。神は今でも助け救うことがおできになります。神はそうする力を持っておられ、その意志を持っておられないのではなくて、これらすべては、みことばのうちに包まれているのです。それでわたしたちはそれを見ることはできませんが、信仰によってそれを把握しなければならないのです。しかし現われたもう日には、おおいは取り去られ、大いなる神として現われ、み名に対する義を行なわれます。そこで人々は「ごらんなさい、神は主であり、救い主である」と言うにちがいありません。
1531年の説教から