あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人が夜くるように来る。 第一テサロニケ5・2
最後の日は、すべてのまことの真実なキリスト者にとっては、喜びと栄光の日としてやってきます。しかし、あらゆる不信仰者、不信心な人々、むさぼる者、高利貸、にせのキリスト者たちにとっては、おそろしい悩みの日となります。なぜならその時、かならずしもわたしたちのすべてが寝台で聖餐を受け、棺に入れられ、墓場に運ばれるとはかぎらないからです。パウロは、寝床で寝ているうちに霊をゆだね、その後で、運び出され、地に葬られた人を「眠っている人」と言っております。しかし、最後の日にそれは必要ではありません。その時、「さあ、この人のざんげを聞き、罪を赦免し、聖餐を執行し、彼を葬ろう」と言うことばはありません。あなたがたが、食事の時、食卓にすわっている時、または、金庫の前に立ってお金を数えているとき、または、寝ている時、または、居酒屋ですわって飲んでいる時、あるいはまた、ダンスをしている時、とつぜんまたたく間にあなたは変えられます。すなわち、あなたは死に、そして、生きるのです。
だれでも忠告を受けようとする人は、悔い改めて、よい人になりなさい。最後の日がやってきて、わたしたちの予想より早く神のラッパが鳴り響くからです。
1545年の説教から