「だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである」 マタイ24・42
罪からのがれたいと望む人でなければ、最後の日のために正しい準備をすることができません。もしそれを望んでいるならば、なぜおそれますか。このゆえに、あなたは最後の日と調和しているのです。最後の日は、その日を望むすべての人を罪から自由にするためにやってきます。そしてあなたもまた、このようにして自由になることを待ち望んでいるのです。それゆえ、神に感謝し、今の確信のうちにとどまりつづけなさい。キリストはその来臨があなたのあがないであるとおっしゃっています。
しかし、あなたが罪から自由になることを望み、最後の日をおそれないと言うときに、あなた自身をあざむいてはなりません。あなたの心は偽って、その日をおそれているかもしれないのです。あなたは罪からほんとうにのがれたいと望んでいないかもしれません。あなたは、その日が来ることを知っているので、思う存分確信をもって罪を犯すことをちゅうちょしているのにすぎないのかもしれません。あなたのうちにある光がやみにならないように気をつけてください。罪からのがれたいと真実に望む心は、この望みが成就される日を待ち望んで喜びます。もしそれを喜ばなければ、罪から自由にされたいというまことの望みはないのです。
それゆえ、わたしたちはなによりも、この来臨にたいする嫌悪とおそれを除かねばなりません。そして罪からのがれるというわたしたちの願いを真実に、また、熱心に持ちつづけなければなりません。もしそうするならば、ただ確信をもってその日を待つだけでなく、大きな喜びと熱心な希望をもってそれを祈り求めるようになります。
降臨節第2主日の説教