「それから、左にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ』」 マタイ25・41
不信心な者たちが、あらゆる天使と被造物を見るだけでなく、神のみいつをもったさばき主を見、永遠の刑罰と永遠のよみの火のさばきが自分にむかって宣告されるのを聞く時、それは彼らにとっていかにおそろしい情景ではないでしょうか。このことはわたしたちキリスト者が反省して、この大能の主の右のみ座をおそれることなく、光栄をもって立ち、おそれと恐怖はなく、ただ、純粋な永遠の慰めと喜びだけを得られるようになるために生活しなければならないという強い警告であり、熱烈ないましめであります。
(主ご自身がおっしゃっているように)、その時、主は羊と山羊とを分けられます。それは正しい良いキリスト者と、すべての天使と被造物と、他方では、偽善者と不信心な世の大群集の見ておる前で公になされます。この分離と選択は、その日に至るまで地上ではなされません。(キリスト教会の群れの中でさえそうです)。善悪はこの世ではいっしょになっていなければなりません。
しかし、やがてキリストが不信心な者たちから聖徒たちを分けられるさばきの日が来るという慰めを、彼らはすでに持っております。その日から偽り者、悪しき者、そして、死も、悪魔も、彼らにふれることはできず、永遠にこころみることはできなくなります。
三位一体後第26主日の説教