あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。 ローマ8・15
ここには、キリストの国の力と、真実な聖霊によってなされるまことの働きと、気高い務めが描写されております。すなわち、それは、おそれと罪の恐怖からのがれた心が平安を受ける慰めであり、神の助けを信仰のうちに待ち望んでいるまごころからの祈りであります。これらのひとつも、律法とか、自分のきよさによっては得ることができません。それによっては、自分に対する神のあわれみと愛についてのたしかな慰めを、決して受けることができないからです。むしろ、いつも怒りと罪についての不安と恐怖のうちにとどまりつづけます。そして、このような疑いのうちにありますから、神からのがれ、神にたよることができません。
一方、キリストにある信仰のあるところでは、聖霊が心のうちに慰めと子供のような信頼を注いでくださいます。そして、心はもはや神の恵み深いみこころと助けを疑いません。それは主が、わたしたち自身の価値によらず、み子キリストのみ名といさおしとによって、恵みと助け、実現と慰めを約束してくださったからです。聖霊のふたつの働き、すなわち、慰めと願いについては、預言者も次のように言っています。主が恵みと祈りの霊を注がれる時、神はキリストの国に新しいメッセージとみわざをはじめられる。わたしたちが神の子であることを、この同じみ霊が確信させ、わたしたちの心を動かしてまごころからの願いを主にむかって叫ばせるようにします。
ローマ人への手紙8・12−17の講解