「わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである」 ヨハネ15・5
自分が無目的で生き働いているのではなく、神を喜ばせるために働き、まことの実を結ぶために招かれていることを知っているならば、それはたとえようのない慰めであり、励ましであります。また、わたしは洗礼を受けてキリストのものとなっている、これはわたしの考えでも、人の思いつきでもなく、わが主キリストご自身のなさったことであって、たしかである、と心から言えるほどすばらしいことはありません。第二に、神の恵みにより、わたしはこのかたを信じることができ、主とともに生きることを願い、わたしが裏切るかもしれない前に、いのちも、血も、すべてをまかせきることを願っていることを知り、全世界に対してこれをあかしするのもすばらしいことです。これこそわたしが生き、よって立っているところの信仰です。この信仰があって、わたしは出かけ、食べ、飲み、眠り、起き、支配し、仕え、働き、動き、苦しみを受けます。すべてはわたしが洗礼を受けている主にある信仰によるのであり、このような信仰のうちに、わたしは、神を喜ばせ、神に益となる実を結ぶことを知っています。
このような人は、どこに住んでいても、なにをしても、それが大きくても小さくても、どんな務めに召されていても、いつも実を結びます。結ばざるをえないのです。どんなことをしても、不平不満や心労や退屈はなく、喜んでします。どんなことでも、負いきれず、しんぼうしきれないほどの、重すぎたり大きすぎる重荷はないのです。
ヨハネ福音書14−15章の講解