サラは・・・・・・死んだ。アブラハムは中にはいってサラのために悲しみ泣いた。 創世23・2
アブラハムが中にはいって、サラのために悲しみ泣いたと書かれていることは、わたしたちの愛する人が死んだ時、悲しみ、泣き、嘆くことが悪いことでないことを示しています。わたしたちすべては死なねばなりませんが、生きているかぎりは、互いに貧しさをわかちあい、ひたいに汗して得たパンをともに食べ、また、お互いのいのちを喜び合うという愛によって生きています。ですから、生きている間、互いに思いやり、隣人の貧しさや、他の人の悲しみに同情するのです。
福音が自然の情を破壊することは、神のみこころではありません。むしろ、神は自然の情をはぐくみ、正しい道へと導かれます。父が子を愛し、妻が夫を愛し、皆が幸福である時喜ぶのは自然の情です。キリスト者は、だれかほかの人が不幸でいる時に、自分だけ信仰の人として神の前に立つことに満足しません。むしろ、わたしたち自身の悩みであるかのように関心を寄せ、愛をもって行動します。もしこのような態度をとるようにと、わたしたちにすすめるためでなかったならば、偉大な父祖アブラハムがサラのために泣いたという記録をとどめるようにと、神はお定めにならなかったでしょう。このようにして、神は、自然の情をわたしたちがもつようにさだめられました。しかしまた、信仰によって、こうした感情も克服し、絶望したり、神から離れてしまわないようにということも神のみこころです。
創世記23章の講解