あなたがたは、羊のようにさ迷っていたが、今は、たましいの牧者であり監督であるかたのもとに、たち帰ったのである。 第1ペテロ2・25
もしわたしたちが確信を深め、強められ、慰められることを望むならば、わたしたちの羊飼いの声を聞きわけることを学ぶべきです。そしてわたしたちを誤りに導き、あちこちへわたしたちを追いやる他の人たちの声に無関心とならねばなりません。わたしたちは、どんな画家にもまさってやさしく力強くキリストを描き出しているこのみことばのみに耳を傾け、理解しなければなりません。その時、確信をもって次のように言うことができます、「わたしの主イエス・キリストは唯一の羊飼いである。そしてわたしといえば、悲しいことに、迷い出た、失われた羊にすぎない。わたしはおそれおののいて元気をなくしている。しかも、わたしはきよくなり、恵み深い神を持ち、良心に平安を持ちたいと願っている。その時、わたしは主が、わたしが主を求めたのと同じように、悲しみのうちにわたしを捜し求めておられるのを聞いた。わたしの魂はどうすれば助けを求めて主のところに行けるかと悩み心配した。そして見よ、主も悩み心配され、わたしをご自分のところに連れ帰りたいとひたすら望んでおられるのだ」
このようにわたしたちの主の姿を描き出すことができ、主のわたしたちに対するあふれるばかりの熱愛と関心と望みをもったみこころをわたしたちの心にやきつけることができれば、その時わたしたちが主をおそれることは不可能になります。むしろ、喜びのうちに主に向かって走りゆき、主とともにとどまり、他の人のことばや他の主人に決して耳を傾けないでしょう。
1532年の説教から