万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するのである。栄光がとこしえに神にあるように、アァメン。 ローマ11・36
教会暦にある他の祝日は、主のなされたみわざとふしぎのうちに、わたしたちの主を包んでいます。キリストの降誕では、神が人となられたことを祝います。復活日には、主がよみがえられたことを祝います。聖霊降臨日には、聖霊が注がれ、教会の基礎がすえられたことを祝います。このように一年中の他の祝日は、主なる神がなにかのみわざのうちにご自分をあらわされている、そのわたしたちの主なる神について語るのです。しかしこの三位一体祝日は、なんのおおいもみわざもなしに、主ご自身と、その本質において、主がどのようなかたであるかを示すのです。ここであなたがたはあらゆる理性をこえて高く舞い上がり、全被造物をはるか下にのこし、あなた自身を高くつり上げ、神がご自分とご自分の本性についておっしゃっていることにのみ耳を傾けなければなりません。この真理を知る他の方法はありません。ここで神の愚かさと世の知恵が衝突します。
それゆえ、わたしたちは、父なる神と、み子と、聖霊が、どうしてひとつの神でありうるかと議論してはなりません。これはその本質においてあらゆる理性をこえているからです。わたしたちにとっては、神がご自分についてこのように語られ、みことばのうちにこのようにご自分を啓示されているというだけで十分です。
これは力を与えるメッセージであり、わたしたちの心を神にむかって喜びにみたします。この三つの位格なる神が、罪と、死と、悪魔から、わたしたちあわれでみじめな人間を救うために、ご自分をわたしたちの方に向けてくださっていることを知るからです。それによって、わたしたちは義と、神の国と、永遠の命に入れられます。
ヨハネ福音書3章の説教