もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。 マタイ6・14
もし神が、あなたがたが隣人になすのと同じように、あなたがたにたいしてなし、あなたがたのすべての罪を全世界にむけて暴露したら、どのように感じるか考えてみてください。まただれかがあなたのすべての悪意を公表したとしたら、どうでしょうか。その時、あなたがたは、すべての人が黙っていてくれて、あなたがたのために弁解し、あなたがたの悪をおおい、あなたがたのために祈ってくれるように望むでしょう。しかし、実際は、あなたがたは、「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」(マタイ7・12)、という律法と自然に反対して行動しています。
また、中傷者、陰口を言うもの、よこしまな裁判官の罪がゆるされると考えてはなりません。そこには、最小の罪もなければ、最大の罪もないのです。
そしてもしあなたがたが、隣人の罪についてなにかしたいと望むならば、あの高貴なキリストの黄金律を守りなさい(マタイ18・15)。「もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、行って、彼とふたりだけの所で忠告しなさい」。ここで他の人にそれを言わず、ふたりの間だけにとどめなさいと言われていることに注目してください。
この尊い働きをなそうと努力している人は、他に多くをしなくても、どれほどやすやすと罪を償うことができるでしょうか。それは彼が再び罪におちいったとしても、神は次のようにおっしゃるからです。「この人は隣人のとがをおおい、ゆるしてやった。それゆえ、すべての被造物よ、きて彼をおおいなさい。その罪はゆるされ、永遠に忘れ去られるであろう」。
単純な信徒のための主の祈りの講解