「神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選ばれた」 第一コリント1・27
わたしたちが弱くなければ、キリストはわたしたちの上に力を行使することができません。もしわたしたちが、自分の力と権力で敵に対して抵抗するならば、それはわたしたちに栄光をきせていることであって、キリストにではありません。しかし体験によれば、わたしたちは決して自分自身の力でやってゆくことができないということがわかります。神がそれをなさらなければならないのです。こうしてわたしたちの弱いところに神の栄光があらわれます。
しばしば、わたしたちの敵が強く誇り高ぶっているときに、わたしたちは弱いのです。しかし、その中に、最後にはキリストが勝利をえられるということをわたしたちに確信させることにより、主キリストはわたしたちを慰めてくださいます。
こうして、わたしたち自身とわたしたちの味方が、この世の前で粉々にくだけようとし、また屈従しようとするときや、わたしたちがこの世の目には表面上弱く見えるときや、だれかキリスト者が激しい圧迫を受けているときに、神はわたしたちをとりあつかってくださり、それにより、わたしたちはおそれず、また、失望しないようになります。その場合、わたしたちは、神が弱そうに見えておられるときにも、ふざけてそうしておられるのではなく、実は熱心の中にそうされているのだということがわかります。なぜなら神は、弱い者により力ある者を倒し、弱い者を高く上げられるからです。しかし、これらの事実を、よくやるように、この世的な理性の目で見てはなりません。そうすればわたしたちは滅びるでしょう。わたしたちは弱い者によって強い者を倒すのが神のみこころであることを知らなければなりません。この真理を信じて、そのまま目を閉じましょう。
ヨハネ福音書6−8章の説教