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ルターによる日々のみことば

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2024/12/31 (火) のみことば

主にあって喜びなさい

主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。 ピリピ4・4

 このような喜びは、信仰の実であり、結果です。信仰なしに、神をおもい、神のみ名が呼ばれるとき、そこには単なるおののきと、おそれと、恐怖と、みじめさがあるばかりです。そのような心は、神にたいして、にくしみと敵意をもちます。なぜなら、良心には、罪過の自覚があり、神が自分にめぐみ深い愛のかたであると信じることができないからです。神が罪を憎み、これをきぴしく罰せられることを知っているのです。もし、このような人と、主にある大きな喜びについて話すならば、それは、水にむかって、火をつかみなさいと言うようなものです。正しく義なる魂のみが、主なる神を喜ぶことができます。それゆえ、この手紙は罪人のために書かれたのではなく、聖徒のために書かれたのです。罪人はまず、いかにして罪から脱れることができ、いかにして神のめぐみを受けることができるかを教えられなければなりません。そして、彼らの良心の呵責がとり除かれるとき、自然に喜びがともなってくるのです。

 では、キリストが、わたしたちの罪を負われるために、わたしたたちに与えられたということにつぐ、福音の約束はなんでしょうか。それは、神のことばに対するこのような信仰が、わたしたちの心のうちにまことにやどるときに、神はわたしたちにとってやさしくなつかしいかたとなられるのです。それは、魂が今は全く信頼して、神とともにあるめぐみと、いつくしみ以外になにも感ぜず、さばきをもはやおそれないからです。心は、神がイエス・キリストのうちにかくもすばらしいめぐみを与えてくださったという確信と、希望に満ちています。それゆえ、このような信仰からは、愛と、喜びと、平和と、讃美と、感謝が、当然、あふれてくるのであり、最愛のいつくしみ深い父としての神のうちに、大きな心からの喜びを感ぜずにはいられないのです。実に、パウロはこの喜びについて、ここにのべているのであり、それゆえにこそ、主なる神のうちにある喜びと言っているのです。

降臨節第4主日の説教


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