「主人は、この不正な家令の利口なやり方をほめた。この世の子らはその時代に対しては、光の子らよりも利口である」 ルカ16・8
ここで、主は不正な家令をほめたと言われております。これはわたしたちが他人に対して不正をなすことを主がよろこばれるという意味ではありません。ここで、主は、その機敏と利口さをほめられているだけであって、わたしたちも、この家令が悪いことで行なったのと同じ熱心さと忠実さを、良いことに生かすようにと望んでおられるのです。
反対に、光の子、すなわち、キリスト者が神の事がらにどれほど怠惰で、なげやりで、無関心で、のろのろしているかがわかります。それゆえ、この世の子らはキリストの子らよりも熱心で利口であるとのキリストのことばは正しいのです。キリストがやっとひとりの働き人を見いだされるところに、悪魔は盲人の働き人を見つけるからです。ではどうすればいいでしょうか。この世はわたしたちのことばを聞きませんから、それを変えることはできません。それゆえやはりなまけものの疲れやすいキリスト者たちに宣教し、叱責し、訓戒し、すすめつづけなければなりません。そしてわたしたちすべてが、悪魔に仕えるこの世の勤勉さを模範にして、いつも反省すべきです。それによってわたしたちは、アダムの子らが悪のわざにおいてなすのと同じように、よいわざにおいても実行できるようになれるのです。わたしたちはその時、彼らの勤勉さにいくぶんでも達することができるでしょう。特にわたしたちが光の子であるためにそうなのです。
三位一体後第九主日の説教