わたしたちの希望の告白を、動くことなくしっかり持とう。それを約束されたかたは忠実だからである。 ルター訳のヘブル10・23
それゆえに気をつけて、あなたがたが知っており、神のものとして重んじている教えから、あなたがたの良心に反してあなたがたを追い払うものを、それが偉大なものであるとしても、また天からのみ使いであるとしても、地上においてはなくしてしまいなさい。聖パウロは言っています、「しかし、たとい、天からの御使であろうと、あなたがたが受けたのと別の福音をあなたがたに宣べ伝えるなら、その人はのろわるべきである」(ガラテヤ1・8)。あなたがたは神のことばのために迫害せられる最初の人ではないし、唯一の人でもないし、最後の人でもありません。キリストは言われます、「義のために迫害されている人たちは、さいわいである」(マタイ5・10)、「あなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう」(マタイ24・9)、また「あなたがたを殺す者がみな、それによって自分たちは神に仕えているのだと思う時が来るであろう」(ヨハネ16・2)。わたしたちは、こうしたことばを思い起こし、彼らと共に自ら強くならねばなりません。そうです、わたしたちは神に讃美と感謝をささげ、神のことばのために苦しむ価値あるものとなれるように祈願しなければなりません。反キリストの時代には、だれも説教する自由がなく、神のことばを教えたり聞いたりするすべての者は罪に問われることがあきらかになっていることを思い出してください。こうしてそれは今であり、また100年以上にも及んでいます。
禁書について、告白する者への教え