だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。 第二コリント5・17
キリスト者は、新しく造られた者であり、神による新しい被造物であり、世の語りかたや判断法とちがった方法ですべてを語り、考え、判断します。彼は新しい人ですから、すべてのものは彼にとって新しいのです。この地上生活では信仰により、きたるべきのちの世では明らかにその性質を啓示されることにより、知るのです。この世はその古い性質と方法によって死を判断しますから、死は地上におけるもっともおそろしい恐怖のまとであります。それは生命とあらゆる喜びの終わりを意味します。
しかし他方キリスト者は、新しい人として非常にちがったむしろ反対の考えを持っています。ですから、試錬の時でも勇気と喜びを持っています。彼は貧しくとも、心のうちには大きな宝を持っていることをおぼえております。牢獄にあるときも、強い王侯であります。病める時におどろくほど強く、あざけられ、ののしられるときに、かぎりないほまれを持っております。同じように彼は今死なねばならないとしても、新しい生命のうちに生きかえるでしょう。簡単に言えば、彼は新しい心と勇気を与えられ、それにより地上のすべてのものを新しくし、それにより地上においてすでに未来の生活の一端を味わいます。やがてみ国にはいる時、すべては彼の目の前に新しくなり、まひるの輝きの中に新しくされるでしょう。今彼は地上においては新しい性質により、信仰によってそれを考え思いうかべているのです。
ヴイッテンペルク城における説教