「わたしがあなたがたに『僕はその主人にまさるものではない』と言ったことを、おぼえていなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害するであろう」 ヨハネ15・20
これらのことばは、あらゆるキリストのしもべの心の中に彫りつけられなければなりません。そして、彼らを動かし、彼らに対して神がさだめられたことを喜んでなしたり、苦しみに耐えるように強めるのです。主キリストは実に大きなみわざをなしてくださったのですから、彼らは次のように思うべきです。わが主よ。あなたは、なんら強制されないのに、わたしに仕えてくださったのですから、こんどは、わたしがあなたに仕えないはずがありましょうか。キリストは純潔で罪がなかったのに、ご自分を低くして、わたしのために血を流し、わたしの罪を消し去るために死んでくださった。そうだとすれば、わたしが主をよろこばせるために、ほんの少しばかりも苦しまないことがあろうか。このように考えてきて心が動かされない人があるとすれば、それは石の心というものです。主が先頭に立って進まれる時、しもべはたしかに従います。
それゆえ、パウロは、「このためにあなたがたは召されたのである」と言っております。「このために」とは、なにをさしておりますか。それは、キリストと同じく、不正を耐え忍ぶことです。パウロはこのように言っているかのようです。あなたがたがキリストに従おうとするならば、不正を受けた時、不平不満を言ってはならない。むしろ、忍耐と寛容をもって苦しみを受け入れなさい。キリストは罪がなかったが、あらゆることに耐え忍ばれたからです。
人々があなたがたを傷つける時、あなたがたは、つぶやいたり腹を立てたりすることなく、むしろ、キリストに似たものとされたことを感謝し、神をほめたたえるべきです。
ペテロ第1の手紙講解