「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたは泣き悲しむが、この世は喜ぶであろう。あなたがたは憂えているが、その憂いは喜びに変るであろう」 ヨハネ16・20
この世にはたくさんの悲しみがありますが、最大の悲しみは、心がキリストを失い、主がもはや見えず、主からなんの慰めも希望もいただけないことです。このようにきびしい誘惑はごく小数のものだけが受けます。あらゆる慰めは去ります。あらゆる喜びは終わります。天も、日も、月も、天使も、被造物も助けとなりません。神からさえも助けはありません。しかし、この世は喜びます。
キリストがこの世に与えられたのは、このような喜びであり、一方、キリスト者には深い悲しみを与えられます。しかし、同時にキリストはこの世を恐怖の場所、悪魔の子として描いておられます。なぜなら、この世にとっては、キリストが滅び、キリスト者が恥ずかしめを受けて罪に定められ、失われるのを見る以上に大きな喜びはないからです。
それゆえにこそキリストはここで次のようにわたしたちにおっしゃっているのです。あなたがたはこの世がどのように喜び、あなたがたがどのように憂えるかについて聞いてきた。それゆえ、これらのことばを聞いて覚えるがよい。それは悲しみが来た時にも、あなたがたが忍耐をもち、苦しみを通してまことの慰めを受けるためである。わたしはこのようにしてあなたがたを試みなければならない。そして、あなたがたが救い主を失い、あなたがたの心の中で死んでしまうことがどういうことを意味するかを味わわせなければならない。それによって、あなたがたがこの秘密の一端を知るようになるためである。他の方法では、わたしを知る知識は与えられえない。神の子がその父のところに帰ること、すなわち、あなたがたのために死に、再びよみがえり、あなたがたも同じように天にあげるこの偉大なわざを正しく理解することは、あまりにも困雑である。
ヨハネ福音書16・16以下の説教