奉仕であれば奉仕をすべきである。 ローマ12・7
仕事や身分には、相違がなければなりません。ひとつの身分でなく、多くの身分があるからです。しかし多くの異なった身分も、み霊による一致に達します。からだに多くの肢体があっても、すべてが目であるわけではなく、目だけが目であります。それぞれの肢体が独自の身分をもち、独自の仕事をもっています。しかし多くの異なった肢体があっても、すべての肢体とひとつのからだを維持する飲み物はひとつ、食物はひとつ、生命はひとつです。それと同じように、神によって定められて、この世の生活にはいろいろな身分と仕事についた人々がいますが、神はひとつの目的のためにひとつの統一体としておつくりになっているのです。それは各自が自分の仕事を全うしながら、自分の身分に課せられた各自の働きをなし、しかも神の前にはどのような身分も人物も平等であるというけんそんさをもってそれをなすことです。すべては平等に創造され、神の恵みを公平に受け、だれも自分の地位が高いからといって思いあがり、神と隣人の前に自分を誇ることのないためです。高い地位にいて、まことのけんそんの精神を失うならば、彼の罪は、他の身分の低い人よりもはるかに恥ずべきものであり、はるかにきぴしくさばかれることを認めねばなりません。
それゆえ、あらゆる人は自分の召された仕事において、よい戦いをしなければなりません。あなたがたが男であっても女であっても、次のように考えるならば、正しい戦いをしているのです。「わたしはわたしの仕事を全うしよう。わたしは修道院に逃げこまずに、神がわたしに与えてくださった働きをし、それ以外のことを求めまい」。あなたがたが夫であっても、妻であっても、それは神から召しを受けているのです。しもべ、はしため、市長、みなしかりです。
しもべが主人にむかってつぶやくことはよくあることです。そのような場合に、わたしは主人に対して罪を犯したのではなく、神に対して罪を犯したと考えるならばどうでしょうか。
1531年の説教から