御子は、その力ある言葉をもって万物を保っておられる。 ヘブル1・3
ここで、記者は、御子が万物を保っておられると言っております。もし、御子が万物を保っておられるなら、ご自分を保たれることはなく、万物の上におられるかたであり、神以外のどなたでもありません。保つということは、御子が万物を養い、支えておられるという意味です。それによって、万物は御子によって造られただけでなく、御子にあって存在し続け、御子によって支えられています。このことについてパウロも次のように言っております、「万物は彼にあって成り立ち、彼によって成り立っている」。さて、「神は保っておられる」と言う時、なんというやさしく、すばらしいことばが用いられていることでしょうか。追いやられるでもなく、狩るでもなく、ほえ叫ぶでもない。やさしく保ってくださり、万物が主のいつくしみを喜ぶままにまかせられるのです。これについて、知恵の書八章一節には次のように書かれております。「神の知恵は、完全なみ力をもって世界のはしからはしまでゆきわたり、万物を恵み深く秩序立てている」。
この聖句の意味は、キリストがその力あることば、すなわち、その力あるわざによって万物を保っておられるということです。キリストの力あるわざによって万物は保たれているのであって、万物の存在と力はそれ自体から出ているのではなく、神の生ける創造力によっているのです。ここで特に、力とみことばを離さないようにしなければなりません。なぜなら、力とみことばはひとつであり、それはただひとつの活動的な力あるみことばを意味しているのです。それゆえ、力は、万物のうちに働くみことばの本質となり、性質であるのです。
1522年の説教から