まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。 ローマ5・8
キリストは十字架の上にご自身をささげられ、罪人となり、のろいとなられました。しかしながら彼のみが祝福された種子でした。この主によって全世界は祝福され、罪と死からあがなわれます。主がふたりの悪人の間の十字架にかけられ、彼らと同じものに数えられ、恥ずかしい死を味わわれたのは、すべて全人類の益のためであり、永遠ののろいからあがない出してくださるためでした。このようにして、主は地上最大の罪人になり、無比の罪人になられました。それは全世界の罪を負われた、唯一の義であり、聖なるかたであるからです。キリスト以外には神のまえにだれも義となり、聖となることができないからです。
そして、だれでも、自分の罪と、全世界の罪が、わたしたちの愛する主の上におかれていることを信じる人は、キリストを自分のものとします。主は、罪のために洗礼を受けてくださり、十字架に釘づけになり、貴重な血を流されました。それは、罪の唯一のにない手である主が、罪からわたしたちをきよめ、わたしたちを祝福して、きよいものとし、それによって、わたしたちが罪の許しと永遠のいのちを受けるためです。また、キリストの洗礼と、十字架と、血がわたしたちのものになるためです。
1540年の説教から