あなたがたが知っているとおり、彼においては、信仰が行いと共に働き、その行いによって信仰が全うされたのである。
愛は律法を完成するものである。 ヤコプ2・22,ローマ13・10
信仰と愛は、区別されなければなりません。信仰は人と関係し、愛はわざと関係するのです。
このことは、信仰と、愛と、律法の本質と意味が正しく理解せられ、それぞれ、属するものが正しく帰属せられるべきためなのです。すなわち、信仰は義としますが、律法を成就しません。愛は義としませんが、律法を成就します。律法は愛とわざを求めますが、人そのものにはふれません。人は律法を感じますが、愛そのものは律法を全く感じません。
それゆえ、信仰はそれ自体律法を成就することができませんが、律法が成就できるところのものを所有しております。律法を成就しうるみ霊と愛を獲得するからです。次に愛は義としませんが、人を義とするもの、すなわち、信仰の証拠となります。要約すれば、パウロが、「愛は律法を完成するものである」と言っておるとおりであり、ちょうど、律法を成就するものは前者であり、他者が律法の成就を可能にすると言っているかのようです。愛は、それ自体が律法の成就であるという意味で律法を成就し、信仰はそれをなす人をそなえ、愛が行為のうちにとどまるという意味で律法を成就します。
1525年 顕現節第4主日の説教