この務がそしりを招かないために、どんな事にも、人につまずきを与えないようにする。 第二コリント6・3
キリスト者は、神のみ名がそしりをうけないようにするため、だれに対してもつまずきを与えないように注意しなければなりません。キリスト者であるということはたいへんなことです。すなわち、神にかたどって造られた新しい人であり、神のまことの似すがたであって、彼のうちに神ご自身を明らかに見るのです。それゆえ、キリスト者が(キリスト者の名のもとに)なすすべてのことは、善であれ悪であれ、神のみ名に対するほまれとなり、恥となるのです。それゆえ、あなたが情欲に従い、あなたのうちにある古いアダムに服従するならば、それは神をそしる者に絶好の機会を与え、あなたのゆえに神のみ名がはずかしめられる原因をつくりだしていることにほかなりません。
このように考えるとき、キリスト者は、他の何事に無関心であったとしても、父なる神と救い主イエス・キリストのみ名を守り、ほまれをあらわすことにかけては、絶大の注意を払わなければならないのです。
三位一体後第19主日の説教