そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。 ヘブル11・13
ここで使徒は、寄留者や巡礼者が、訪問者や寄留者の目で異国の地を見るのと同じように、わたしたちもこの地上の生涯を見なければならないことを示そうとしました。寄留者は、ここがわたしの祖国だと言うことができません。そこには自分の家はないからです。巡礼者は巡礼をしている土地や、夜泊った宿屋にいつまでもとどまろうとは考えません。彼の心と思いはほかのところに向けられているからです。彼は宿屋で食べ、休息します。それから自分の家庭のあるところに向かって旅をつづけます。
ですから、この異国の土地と宿屋では、訪問者、寄留者としてふるまいなさい。食物と、飲み物と、衣服と、靴と、夜休むために必要なもの以外のものを望んではなりません。そしてあなたが市民権をもっている祖国のことをいつも思うべきです。
わたしたちはこのことを慎重に考えるべきです。この世に、自分のために永遠の生命をきずこうと求めてはなりません。それがわたしたちの最大の宝であり、天国であるかのごとくに追い求め、すがりついてはなりません。なにか主キリストと福音を食いものにし、そこから富と力を得ようと望んでいるかのごとき態度をとってはなりません。そうではなく、ただわたしたちが地上に生き、神のみこころであるかぎりにおいて、食べ、飲み、求愛し、植え、建て、家と家庭と神のゆるされるものを所有し、異国の地の訪問者、寄留者としてそれらを用いるのです。彼はやがてそれらのものを全部残してゆかなければならないことを知っており、杖をとってこの異国の地と、悪のはびこる危険な宿屋を出てゆきます。その行先は、永遠の安全と、平和と、休息と、喜びだけがあるわたしたちのまことの故国です。
1531年の説教から