それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、国を父なる神に渡されるのである。 第一コリント15・24
(キリストご自身が用いておられる)天国という用語は、肉も血も持たない天使と祝福された霊が住み、わたしたちもやがてそこに行き、彼らといっしょに永遠の喜びに入れられる場所をさすだけではありません。この用語は、この世にあり、人々の中に存在する国をもさすのです。父に属するものと、子に属するものが、この二つの国の間の相違点です。パウロも、神の子キリストが「あらゆる敵をその足もとに置く時までは、支配を続けることになっているからである。それから終末となって、その時に、キリストは、国を父なる神に渡されるのである」と言っているとおりです(第一コリント15・25、24)。ここに、ふたつの国があげられております。ひとつはキリストがこの世において支配されるものであり、そこではわたしたちの前にヴェールが引かれているので、キリストを見ることはできず、信じなければなりません。他方の国では信仰は必要でなく、目の前にキリストを見ます。その他のあらゆる面から見て、これは同一のものです。今、宣教し、信じているものを、その時、見るのです。
その時、宣教と信仰はやみ、ヴェールは取り去られて、わたしたちは輝いた姿をした永遠の祝福を持つやさしい天使たちととも生きます。今、この地上ではこの姿について聞いたり、見たりするだけです。ですから、現在のみことばと信仰の国は、もはや信仰を必要としない違った国に変えられ、わたしたちの目の前に、父なる神と、主なるキリストを見るのです。しかし今は、わたしたちの目にヴエールがかかっているままに従い、信仰とみことばのみによって導かれることに満足しなければなりません。しかし、神の子が人となられ、人のかたちをとられたことを信じ、洗礼を受けている人はすでに天国にいるのです。
1544年の説教から