「わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである」 ヨハネ15・11
この目的のためにわたしたちはまごころからみことばにすがりつかなければなりません。そして、主が父との交わりにあるわたしたちとともにいてくださり、わたしたちを守ってくださり、それによって、いかなるわざわいもわたしたちを害することなく、世と悪魔の力もわたしたちを圧迫したり、主のみ手から引き離すことはないという主の尊い約束のうちに力を見いださなければなりません。このようにしてわたしたちはいつも喜びと慰めを見いだし、一日一日さいわいのうちに成長し、苦しみも悩みもわたしたちを悩ましたり、絶望におとしいれたりすることがないようになります。イエスの愛のためにあらゆる苦しみを耐え忍ぶことは喜びです。キリスト者は地上においてこれ以外に完全な喜びを見いだすことができません。たとえあなたがたが全世界の幸福を一身に集めても、それは悲しみやわざわいからあなたがたを守ってくれないからです。この世の喜びは、移りゆく一時の財貨、名誉、情欲などに基礎をおいているのであり、それらが存在する間だけしか続きません。しかも、ちょっとした冷たい風が吹き、少しでも不愉快であると、しぼんだり、なくなったりするのです。
しかし、ここでキリストのおっしゃっている喜びは、終わりのない喜びです(永遠の神に基礎をおいているからです)。外面的な悩みの中にもゆるがず、成長します。それゆえ、わたしたちは喜びにあふれつつ、この世の幸福を軽蔑し、軽く捨てることができます。
ヨハネ福音書16−20章の説教