さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。 ヘブル11・1
その目を閉じて、神のみ手のうちにいっさいを、すなおに喜んでゆだねるならば、これは最高、最善の信仰です。それは神がなぜかくかくの働きをなさるか知ろうと望みません。理性と、感覚と、体験には、怒りと不正以外のなにも見えなくても、信仰は、神が最高のいつくしみであり、正義であることをなおも信じてよりすがっています。このようなわけで、信仰は、見ていない事実を確認し、見える姿と正反対の事実を確認すると言われるのです。それゆえ、この信仰は神にたいする最高のほまれであり、愛であります。また全く正反対の事物の中に、いつくしみと正義の主を見いだし、たたえることができるほどの最高度のほまれであり、愛であります。ここでは生まれつきの目は完全にえぐり出されなければなりません。ただ信仰があるばかりです。そうでなければ、霊ははげしく恐怖のうちに悩むのみです。
ハンス・V・リーヘンベルクへの手紙