「もしおまえも、この日に、平和をもたらす道を知ってさえいたら・・・・・・しかし、それは今おまえの目に隠されている」 ルカ19・42
このような運命が、神をおそれず、神よりも自分のことのみを考えるすべての人の上にのぞみます。こうして神は主のすべての聖なる預言者たちの死にむくいられました。さて、わたしはわが国のために深く心を痛めております。今、わが国には恵みの招きの日がきているからです。わが国がこの招きを軽んじて受けいれず、あざ笑うならば、その時、この栄光の日の輝きを失うでしょう。神はあわれみをかけられますが、わが国は滅びるでしょう。風ははげしく吹いてきます。それは今のような主の恵みの時代においてすら、わが国は永遠の恵みに対して無関心であるからです。
主は「もしあなたがたが悟りさえすれば、あなたがたは泣いて、罪のゆるしをうけたいと願ったであろう。わたしは今あなたがたを滅ぼすために、絞首人、裁判官、迫害者としてきたのでなく、あなたがたに助けと忠告を与えるために、父、説教者、救い主としてきたのである。しかし太陽が沈むままに、無為に過ごすならば、あなたがたは滅びるであろう」
主は三日間を宮での宣教に用いられました。それはかつてこれほど深く感動されたことはなかったからです。さだめられた時が主に押し迫っていると感じられたからです。主イエスは違った応答があれば、心から喜ばれたにちがいありません。
1531年の説教から