「今や、われらの神の救と力と国と、神のキリストの権威とは、現れた」 黙示録12・10
悪魔が、キリスト者との戦いの結果、征服され、天上のキリストの国から投げ出される時、神に感謝する全被造物の喜びはかぎりなく大きく、「今や、われらの神の救いと力と国と、神のキリストの権威とは、現われた」と歌います。そこで神ご自身が両者をいっしょにし、神の国と、力と、権威は、キリストにも所属するようになります。すなわち、父なる神と、み子なるキリストに属するひとつの神の国、力、権威が存在するようになるのです。この讃美は、戦いと争いが終わり、キリストの国がきよめられ、聖とされ、悪魔のいつわりが恥ずかしめを受けた時、湧き上がってくるものです。しかも、この讃美と感謝は、小羊の血によって打ち勝ち、主のために生命を惜しまなかった人々から湧き上がります。それゆえ、主はこのような讃美と感謝を求められます、「天よ、喜べ。キリスト者よ、喜べ。あなたがたはこの主の国であり、主のおられる天に住むからである。あなたがたは古い龍と戦いぬき、勝利をかちとった。それはあなたがた自身によるのでなく、この小羊の血によってえたのである。その血が働き、勝利をえさせたのである」
しかし、この勝利のためにキリスト者がその生命をかけなければならないことは事実です。主が、「彼らは死に至るまで、おのが生命を愛さなかった」とおっしゃっているとおりです。それゆえ、悪魔がこの救い主キリストの力と勝利により、完全に投げ捨てられるまで、キリスト者は生きるのも死ぬのも、その信仰とあかしを通じて堅く立ち続けなければなりません。この究極の目標を全聖書はさし示し、すべてはこの神の子によってなされなければなりません。主はわたしたちのために人となられ、その血を流され、それによって悪魔と、その軍隊と武器と罪と死とよみとを足の下に踏みつけ、そして主の喜ばしい来臨により、わたしたちをこの信仰の戦いから永遠の安全と、祝福されたみ国の栄光にいれてくださるのです。アーメン。
1544年の説教から