地は主のいつくしみで満ちている 詩篇33・5
日々、わたしたちの周囲に働いておられる神のおどろくべきみわざが、軽く評価されているのは、それが重要でないからではなく、あまりにもひっきりなしに休みなく起こっているからです。神がこの世を支配し、被造物全体を保っておられるという奇跡に、人類は慣れてしまっています。日常、すべてのことが定められた進路を進んでおりますから、あまり目立たず、これについて深く思いめぐらし、神のおどろくべきみわざと考えるだけの価値があるとは、だれも考えませんが、実のところ、この奇跡は、キリストが五つのパンをもって五千人に食べさせ、水を酒にかえられた奇跡よりもはるかに大きな奇跡であります。
しばしば、わたしの父は、両親つまりわたしの祖父母から聞いた話をしてくれました。それは、一年に、地球の畑でできる穀物束を全部いっしょに集めるとしたら、その総量に対するよりももっと多くの人間が地上で食べているというのです。ひとつ数えてみてください。そうすれば、一年に、刈り集められる穀物よりも、もっと多くのパンが食べられていることがわかるでしょう。これらすべてのパンはどこから来るのでしょうか。これこそ神のおどろくべきみわざであると認めないわけにいきません。神が、畑の穀物、納屋の穀物、袋の粉、食卓のパンを祝福され、ふやされるのではないでしょうか。しかし、このことについて考え、それが神のすばらしいみわざであることを見いだす人は、ほんの少ししかいないのです。
1544年の説教から