「わたしの名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」 使徒9・16
もしあなたが主イエス・キリストとの共同の相続人であることを望みながら、主とともに苦しまず、主の兄弟とならず、主と似たものにされないならば、主は決してあなたを最後の日に主の兄弟、また、共同の相続人として受けいれないでしょう。反対に主は、あなたのいばらの冠、あなたの十字架、あなたの釘、あなたの鞭打ちはどこにあるのかと尋ね、世のはじめから、主と民が受けてきたのと同じように、あなたも世にのろわれたかどうかと聞かれるでしょう。もしこの質問に答えて証拠をだすことができないならば、主はあなたを、主の兄弟として受けいれることができません。すなわち、わたしたちは主とともに苦しみ、あらゆる点において神の子とひとしくされなければなりません。そうでなければ主の栄光のうちに引き上げられることはないのです。
傷跡、釘、いばらの冠、鞭打ちにわたしは耐えなければなりません。すべてのキリスト者もそうです。しかもそれはたんに壁に描いたものでなく、わたしたちの肉と血の中に刻印されるものです。
そこでパウロは、あらゆるキリスト者がわたしたちの主キリストの傷跡を負うように、すすめています。主は、最近数年間にわたしたちの兄弟の多くが受けたような、あらゆる人間的な苦しみがおそいかかってきても、おそれてはならないと慰めておられます。しかも、わたしたちの敵と、やみの力の時が来る時は、事態は更に悪化するでしょう。しかし、来るならばこさせなさい。わたしたちは苦しまなければなりません。そうでなければ、栄光に達することはないでしょう。また彼らはわたしたちを殺してしまって、それがいったいどんな益になるかわかるでしょう。
1535年の説教から