わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な者になっているとか言うのではなく、ただ捕えようとして追い求めているのである。そうするのは、キリスト・イエスによって捕えられているからである。 ピリピ3・12
それゆえ、自分が義人であると考えたり、そう言ったりする聖徒はひとりもおりません。彼らはいつも正しい者とされることを願い求め、また、自分が罪人であることを告白し、自分の罪が義とされることを嫌悪する人々を待ち望んでいます。
ですから、新しく生まれかわった真実の霊的な人の全生活とは、内なる心のうめきと、彼らの働きの叫びと、からだの労苦をもって、このひとつのたまものを熱心に追い求めているところにあります。すなわち、なんとかして死に至るまでに義とせられたいと望み、決してとどまることなく、また自分がそれにすでに到達したとか、なにかの働きによってすでに義認の目標に達しえたとは考えません。まだ罪を犯すかぎり、目標ははるかかなたにあるかのように、待ち望んでいるのです。
ローマ人への手紙講解