芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。 マタイ13・26
人の力をもってしては、これらの毒麦を取り除くことも、変えることもできません。彼らは、しばしば、わたしたちよりも賢いからです。彼らはすぐ友人をつくり、自分のまわりに群集をつくり、彼らの方からいえば、麦の中に自分たちを植えてくれた悪魔、この世の君を味方にしています。
さらに、彼らはどのようにしたら、自分の主張を誇示し、すばらしい知恵と信心深さをもっているようなふりができるかをよく知っています。このようにして彼らは群集の中に大きな尊敬を獲得します。それはちょうど、麦の中の大きな美しいあざみが褐色の冠をもって立ち、麦よりも高く成育し、よりりっばに見えるのと同じです。あざみはりっぱな緑色の葉をもち、美しい大きな褐色の冠をもっています。そして、奔放に成長し、花を咲かせます。赤くて、強くて、美しいのです。ところが一方、たいせつな麦はそのような美しいびっくりするようなすがたを持ちません。薄黄色をしているだけです。ですから、なにも知らない人が見れば、誓って、あざみの方が良い有用な植物であり、花であるというでしょう。
さて、わたしたちは、これらの邪悪な者たちを消し去ることはできません。なぜなら、迷っていた幾人かが帰ってくることがしばしばあるからです。それゆえ、もしわたしたちが毒麦を全部抜いてしまおうとしても、まだ帰ってくる可能性のあるものも滅ぼす危険なしに抜きとることは不可能です。ですから、わたしたちは毒麦があることをしんぼうしなければなりません。しかし、けっして彼らがわたしたちを支配することは許しません。それはちょうど、わたしたちは完全に罪を避けることはできないけれども、それがわたしたちの主人になることを許さないのと同じです。それゆえ、わたしたちは神の戒めを実行し、主の祈りを祈って助けを求めねばなりません。
1546年の説教から