「町の平安を求めなさい」 エレミヤ29・7
青年に注目し、関心をよせるのは、市議会と市長たちの義務です。町のすべての富と、名誉と、生活と、役人たちは、施政者たちの忠実な手にゆだねられています。それゆえ、彼らが夜も昼も町の福祉と発展を求めないならば、神と人との前に不正直に行動していることになります。しかし町の福祉は富を集め、堅固な城壁とすばらしい家を建て、多くの火器、武具をつくることだけに存するのではありません。むしろ反対に、それらがたくさんあり、しかも愚か者の手にそれが渡った時に、町はかえって悪くなります。多くのりっぱで、教養があり、厳格で、感受性に富み、尊敬すべき市民が多くいることこそ、町の最大最高の富であります。彼らは富を集め、つくり、保ち、正しく用いることもできるからです。
さて、町はこのような人々を必要とし、どこでも彼らが足らないという不満がありますから、彼らが自然と成長するのを待っているわけにはいきません。彼らを石でつくったり、木を刻んでつくるわけにもいきません。神は、わたしたちが自分の手に与えられている手段を用いて必要をみたすことができる間は、奇跡をなさらないのです。それゆえ、どれほど犠牲と努力を払っても、わたしたちはこの仕事をとりあげ、わたしたちの手で彼らを訓練しなければなりません。青年たちを森の木のように育つにまかせ、訓練もされず手入れもされないままに放っておいた議会と市長たちのほかに、有能な市民がどこの町にも少ないという責めをだれに帰せうるでしょうか。今、木は全く不規則な育ち方をしておりますので、建築材には不向きであり、ゆがんだ材木はまきにしか使うことができません。
今まだ時のある間に、この問題と真剣に、また熱心に取り組むことは、青年のためだけではなく、霊的、世俗的世界を維持するために、絶対的な必要性をおびております。
キリスト教学校を設立し、維持すべきことを、全ドイツの都市の市長及び市会議員に訴える書